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2月6日 苦労してナンボ

おはようございます。

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」の本当の効用

それは「苦労は娯楽」だと知ることだと思う。

もちろん、すべての苦労が娯楽たり得るなんていう気はない。心ない両親の元に生まれ落ちたせいで、ネグレクトやら虐待でただ生きるのにも苦労するなんてのは最悪だ。望んでする苦労じゃない。ここでいう苦労は何かを成し遂げるためのものだ。努力といい換えてもいい。ぼくは努力教の信奉者ではないから、苦労や努力が「必要」だとは思わない。したくない人はしなくていいと思う。ただ、同じ漢字をあてても「ラク」と「タノシイ」は全くの別モノだ。ぼくはそう思っている。そして、「タノシイ」ことは大抵「ラク」じゃない。ラクして楽しいことなんて底が知れている。

若い時分から自らゴールを設定し苦労できる人はいい。苦労の才能がある。きっと周囲からも生き生きとして見えているはずだ。まあ、当人は一所懸命ではあっても、それを苦労だとは思っていないかもしれない。が、すべての若者がそうできるわけではない。だったら、お仕着せの苦労でもいい。学園祭の役員なんてやりたくなかったし、やったらやっぱり大変だったけれど、終わってみれば仲間同士妙な連帯感や充実感を共有していた…なんてことは珍しくない。当然、向き不向きはある。不向きな苦労は疲労だけを置いて行く。それも「若いうち」ならさしたる痛手じゃない。

それは仕事でも同じである。やりたい仕事がある人もいればない人もいる。じゃあ、ない人は仕事を楽しめないかというとそんなことはない。始めてしばらく苦労していると、だんだん楽しくなってきたりする。周りを見ていても、責任や権限の重みと楽しさがリンクする人は少なくない。それは大変なことだけれど、やっぱり大変だから楽しいんだと思う。少なくとも、いかにラクをするか、みたいなことばかり考えて働いている人はあまり楽しそうに見えない。ただし、ここでいうラクは「いかに効率的に成果を出すか」と考えて努力することとは似て非なるものだから念のため。

結局のところ、趣味にしろ仕事にしろ人間関係にしろ、労さずに手に入るものほどすぐに飽きる。愉しさゲージが上がらない。その意味で、労力と楽しさはある程度比例する。もちろん、すべての労力が快楽を生むわけではないけれど、すべての快楽には何らかの労力が必要である。苦しむことと楽しむことは必ずしも対立しない。そのことを知らずに生きるのはもったいない。苦しいばかりのことに耐える必要はないけれど、苦しいけれど楽しいという何かに出会えることは幸運である。そういう何かを見付けたなら怠惰に流されてラクをせず、進んで苦労する方がきっと楽しい。

要するに、苦労も努力も「自分のため」にしてナンボである。否、そもそもすべての行為は自分のためにしかならないというべきか。「こんなに苦労しているのに誰も認めてくれない」とか「こんなに努力しているのにちっとも報われない」とかいうような苦労や努力なら無駄だからやめた方がいい。自分のための苦労や努力なら誰に認められずとも、している尻から報われている。その楽しさや生き甲斐や張り合いや充実感こそが最大の報酬である。いつまで経ってもそう思えないなら、それは向いていないということだ。方向転換できるうちにした方がいい。苦労のし甲斐がない。

「苦労」というと言葉は悪いけれど、労力を惜しんで楽しく生きることは難しい。


小さなことでも「一番」を目指せば人は変わる

優秀な人材が欲しいなら、今いる社員を鍛える以外にない
わたしが株式会社武蔵野の社長に就任したのは1989年のことです。当時、同じ業界の人からは「武蔵野はもう一年とは持つまい」と言われました。わたしは「ああ、さすがに見る目があるなあ」と思ったものです。社長と社員を見ればそう言われて当然です。とはいえ、ここではわたしのことは棚に上げておきましょう。

 当時の社員は、どうにも覇気のない連中ばかりでした。なんだか魚の腐ったような目をしている。自分に誇りが持てていない証拠です。誇りがなければ良質の仕事もできるはずはない。どうしたものかとわたしは頭を抱え、一時は本気でやる気のない社員を解雇することも考えました。しかし、その直前で「待てよ」と思い直したのです。

 覇気のない社員を解雇したところで、代わりに優秀な人材が入社してくれるとは限らない。しょせんは田舎の中小企業だ。どうあっても社長のわたしより優秀な社員は入ってこないのだ。とすると、社長のわたし自身が落ちこぼれである以上、社員を入れ替えたところで状況は改善されないに違いない。ならば、今いる人材を鍛え直すのが最善だろう。

 わたしは、社員に誇りを持たせるにはどうしたらいいか、死んだ魚の目を「タカの目」に変えるにはどうしたらいいか考えました。そこで「どんな小さなことでもいいから一番になろう」と決めました。では、どういうことで一番になったらいいかと思考の駒を進め、行き着いた先が「業界で一番、整理整頓の行き届いた会社になろう」でした。それが前回のコラムでも紹介した毎朝30分間の清掃、すなわち環境整備につながるのです。

「徹底」とは「異常」と思われること
環境整備がいいのは、まずお金がかからないこと。そして簡単であることです。仕事はだれにでもすぐにできるものではありませんが、しかし清掃ならベテランだろうが新人だろうが、同じようにできる。ここが重要です。わたしはOJT(On the Job Training)の効果を否定するものではありませんが、しかし難しいことを少数こなすより、だれにでもできる簡単なことをたくさん積み重ねたほうが効果は高いのです。

 果たして、環境整備を始めて間もなく社員の表情が変わってきました。「タカの目」になったのです。そういう社員が増えていくのに比例して、社内はどんどん清潔に、整頓されていきました。そして気づけばいつしか、我が社の環境整備をベンチマーキング(見学)しに、全国から大勢の人がみえるようになりました。他社の方に見ていただく、それで社員は一層発奮する。理想的な「正のスパイラル」が出来ました。

 ここに至ってわたしは、「ああ、ようやく一番になれたのだ」と実感しました。一番でなくては、あれほどの数の人がわざわざ全国からベンチマーキングに来られるはずはないからです。「簡単なこと」であるからこそ一番を目指せた。だからこそ徹底できた。「徹底する」とは、第三者から見て異常だと思われるほどやることです。二番手、三番手を目指しても社内は相応に整頓されたでしょうが、それではしょせんは自己満足です。全国から見学者を集めることもできなかったでしょう。

 日本で一番高い山は富士山です。では二番目は? わたしはセミナーなどでしばしばこの質問をしますが、「南アルプスの北岳」と即答できた人はこれまで4人しかいません。そしてその4人とも山歩きが趣味か、あるいは甲信越地方の出身かのどちらかでした。人はそういうものです。お客様は常にナンバーワンしか覚えてくださらないのです。それを社員に実感させ業務に生かさせるためにも、環境整備で一番になったのは非常に大きな意義のあることでした。


感性は訓練によって育てるもの
しかし、環境整備でそんなに社員は変わるものなのか? そういう疑問があるかもしれません。変わります。たかが掃除と侮ってはいけません。それは前回のコラムでも述べたように「嫌なことを強制することで素直な心が育つ」ことでもあります。またここで新たに付け加えておきたいのは、環境整備によって社員の心に「気付き」が生まれることです。「あ、廊下のここが傷ついているな」「そろそろ蛍光灯も換えどきだな」などと。

 こうした気付きは社員の感性を豊かにします。多くの人が勘違いしていることですが、感性とは持って生まれたものではありません。訓練によって育てるものです。そして豊かな感性なくしては、決してお客様をおもんぱかったサービスなど実現しません。環境整備の充実とともに我が社の業績も伸びていったことは決して偶然ではない。だからこそ我が社は、環境整備チェックを毎月実施し、その出来/不出来を賞与評価に30%も反映させているのです。

 そういえば以前、こんなことがありました。さる大口のお客様のところに盆暮れの粗品を持ってあいさつに伺ったところ、そこの社長さんからこう言われました。「いつも配達に来てくれる××さんはすごく感じが良くて気配りができる。ぜひ息子のお嫁さんとして迎えたい」と。わたしは仰天しました。というのは彼女は我が社に入社する前は、手のつけられない不良娘だったからです。

 しかし、そんなことはとても打ち明けられません。たいていのことには動じないわたしですが、「いや、こればかりは当人同士の気持ちもありますから」と冷や汗を流してごまかすのがやっとでした。ともあれ学生時代は三多摩地域をシメていた、とんでもないスケバンが、やがて良家から縁談話を持ちかけられるようになる。環境整備はそれほどに人を変えるのです。
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