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2月8日 導かれし者 死闘そしてデストロイ その跡に


おはようございます。
グッドモーニングでやんす。グッドモーニングであります。
おはようでござる。ボンジュールです。
ニーハオでんす。おはようでどふぁら。この先の旅路は さらに険しい道になるじゃろ。
しっかりと旅支度を整え
勇気を持って 道を進んでいくのじゃ。

どんなに険しくても 逃げずに戦うのじゃ。
奥深くまで進めば、弱気な自分と出会うこともある。
しかし、しっかりと自分を見つめ
弱気になっては駄目。
弱気な自分が出れば、
明日もまた弱気な自分と出会うことになる。
常に 今日 今という時間に
弱い自分と戦う姿勢。
そうすれば、明日は
ちょっとだけ強気な自分と出会える。


今日のお話は
最愛の妻を亡くした方の手記を紹介します。

◇ 悪性腫瘍を告げられて
06年2月末頃のこと、昨年の10月、ぎっくり腰をやってしまった家内が再発、腰痛に悩まされるようになってしまった。

ご承知の様に、ぎっくり腰の処置には絶対安静が最大の治療法であり、他のいかなる処置も大して効き目がないのである。
そこで、ほぼ寝たきり老人よろしく、安静に保っていたわけである。

あまり痛がるので、近くの総合病院に連れて行き、整形外科で見てもらうことにした。

とはいっても、痛がる身体を無理してレントゲンをとったところで、頸椎とか椎間板の細部が映るわけのものではないことは、 私もぎっくり腰のベテランだけに、そのことはよく承知している。

しかしその結果、家内の腰は、腰椎の2番が圧迫骨折をしている状態だという。
だが、それも去年のときのものが、すでに固まっているものだという。

治療薬は、ただの湿布薬が2週間分、処方されたにすぎない。

小生、料理・洗濯は得意だから、家内は安心して寝ていられる。

そうして何週間か療養していたのだが、3月25日、突然、吐き気におそわれ、すこし戻したのだ。
そんなことが翌日もあり、私のすすめで、近くの総合病院の内科で見てもらうことにした。

ノー天気な家内は、『整形の湿布薬は強いから、それが胃にきてむかついた』のだという推測をしていた。

『湿布薬は、まぁいいところ皮膚下の筋肉まで・・、腹膜、腹水、胃壁を貫いて、胃を荒らすことなんか絶対にないはずだ』との私の主張に、 しぶしぶ病院までついていったのである。

早速、3月28日には胃の内視鏡検査の予約をとり、そのときはじめて潰瘍と、胃の上部に悪性の腫瘍ありと診断される。

私も家内も、いわばガン家系。

その種のテレビや新聞なんかを見ては、将来、もし、ガンになったらお互いに告知し合おうと、話し合っていた。

相手に隠すのも辛いし、嘘をいわれ続け、死んでいくのも嫌だからである。

だから、医師の診断結果もふたりで、ともに聴いたのである。

『胃の潰瘍もかなり進んでいるし、胃の上部、噴門周辺に少したちの悪い腫瘍がありますから、これは全摘出の必要があります』と、担当の外科部長O医師はいった。

それを聞いた家内は、『あぁ、私もお母さんといっしょだぁー』と、押しつぶす様につぶやいた。

じつは、家内の母は、彼女が19歳の時、胃の末期ガンで44歳の若さで他界していたのである。

高校卒業後、東京・町田にあったNデパートの女子寮に入っていた彼女は、すぐに退社し、母の看護をするために帰省、最後の1ヶ月間、病院に寝泊まりして看護し、母を看取ったのである。

その思いがよぎったのだ。

そのことを私から先生に告げたのだが、『40年前と今では、医療も薬も進歩しているから心配はいりませんよ』という。

その後、手術内容について右のイラストを使い、詳しい説明を受けた。

お腹のみぞおちからヘソの下4、5センチまで切り、リンパ節を含め、悪いところはすべて切除するという。

胃の全摘出は、いろいろなやり方があるが今回は、食道の末端・胃の噴門近くで切り、それを小腸につなげる。

一方で、胃の下部は幽門で切り、そこは閉じ、十二指腸の先端を小腸の別のところに穴を空け、そこにつなぐのだという。

4、5時間もかかる大手術であるが、症例数や処置数も多いからあまり心配はないという。

家内は『まさか、わたしは母と同様の末期ではないですよね?』と聞く。

『えぇ、そんなことはありませんよ』先生は答える。

また、『こうした病気の場合、他の病院でも見てもらうとか、県立ガンセンターの方がいいという方もいますが、どうしますか?』と聴いてきた。

その病院で手術までするか、他へ転院するかによって、以後の検査内容も異なるのだという。つまり、こちらでも、あちらでも、 同じような検査を続けて、患者の負担を大きくするか否かということなのである。

その質問には、家内は即断した。『こちらでお願いします』と。

家から近いし、ときには家に帰ることもできるからだともいった。

帰宅後、家内には『でも、ガンなんだからガンセンターの方がよくはないか』と念を押したのだが、家内は、その病院でいいとはっきり決断していた。

その前の年、知人の付き添いで、家内は何度もガンセンターを訪れていたし、ガンセンターに関しては私はまったく知らない。

その様子を知った本人がいうのだし、患者自身が、医師と病院に信頼感をもって治療に当たることはなによりも大切なことだと承知してのことで、私も承諾した。

ついでに、入院日と手術日も決めた。4月10日に入院、翌11日に手術と決定。

それから毎日が、検査、検査の連続であった。

血液検査から心電図、胃のバリウム造影、CTスキャン、エコー(超音波)、点滴静注・腎盂造影などなど。



◇ 人生最大のショック
4月6日、ついでに大腸の検査も行っておこうということになった。もし、悪いところがあったら、 開腹ついでにそちらも取っておこうというのだ。

検査が済み、処置室にいた私に、看護婦さんから『お渡しするお薬の説明を先生がしますから、きて下さい』というのだ。

きた、嫌な予感がよぎる。よくドラマや映画にある、あの最悪のシーンだ。

だいたい、 こういう場合はシリアスなケースが多い。

『大腸の内部はきれいです、しかし、なぜか上半分にスコープが入っていかないのです。
大腸の癒着ということも考えられます。
僕の予想が外れればいいのですが・・、あまりよくない兆候が考えられますから、最悪の状態もありうることを承知していて下さい』というのだ。

まさに、最悪の告知。

検査技師ではなく、外科部長のO先生、自らスコープを操作して見たわけで、その経験則から判断したことであり、 それだけに恐い事実を告げられたことになる。ショックだった!

家内の前では聞けないことだが、『先生、先生のお見立てでは、余命は、あとどれくらいでしょうか』と、思い切って聞いてみた。

自分としても、それに備える心構えが必要だったからである。

『個人差がありますから、今は、まだはっきりとは申し上げられません。 術後、何年も生存している方も実際にいますから・・・』と先生はいう。

『先生、家内は自分の親で、末期ガンの苦しみを一ヶ月も付き添って目のあたりに見ているのです。
ですから、どうぞ、苦しみや痛みのない処置を、ぜひ、ぜひお願いします』。

それが、そのときわたし自身にできる唯一の頼みであり、それからはすべからくあなた任せになるのだから、何もできない自分に腹立たしくさえ感じていた。

家内とは、お互いに告知し合おうといった仲ではあったが、手術前の家内にそんな酷な事実は告げられない。

それから手術日までの5日間、家内や子供たちの前では悲しい顔は見せられないし、本当に隠すつらさを味うことになった。
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